翻訳と辞書 |
安田広春[やすだひろしはる]
安田 広春(やすだ ひろはる)は、戦国時代の武将。越後安田氏及び越後北条氏当主。通称は弥九郎。官途は丹後守。
== 生涯 == 越後安田氏の出身であるが、同族の北条氏の当主も兼任していたという説が有力であり、北条広春とも言う。越後の安田氏は大江姓毛利氏の一族であることから毛利広春とも呼ばれる。 永正4年(1507年)、守護代の長尾為景が、守護の上杉房能を討つという事件が起こる。その後上杉氏と長尾氏の抗争が起きるが、広春は長尾為景に従い、越中神保氏攻めなどに従うなど、各地を転戦し、内政では長尾家の奉行職を務め、為景の側近として各種の折衝にあたった。 大永4年10月14日に死去(「専称寺過去帳」)〔黒田基樹『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院、2013年)ISBN 978-4-87294-786-1 P172.なお、大永4年説と大永7年説がある某年12月16日付(長尾為景宛)長尾顕景書状(「上杉文書」所収)に「毛利丹後守方死去」と記されており、どちらの年代にしても毛利丹後守(安田広春)が大永年間に没したことを示すと考えられている。〕。 広春の没後、安田氏は景元が、北条氏は北条高広がそれぞれ継承し、再び分裂した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安田広春」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|