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安 禄山(あん ろくざん)は、唐代の軍人、大燕国皇帝。本姓は康で、康国(サマルカンド)出身のソグド人と突厥系の混血。「禄山」はソグド語の「ロクシャン(rwxšn/roxš(a)n 明るい・光の意味)」の音訳〔「安禄山」は「アレクサンドロス」「アレクサンダー」の音訳説があるが、現代では否定されている。〕。唐の玄宗に対し安禄山の乱(安史の乱)を起こし、大燕皇帝に即位したが、最後は次子の安慶緒に殺害された。 == 生涯 == ===混血児としての出生=== 当時契丹との境域にあたる遼河西岸一帯を統括していた営州都督府の主邑・柳城(遼寧省朝陽県)の出身とされる。父は康姓であることしか知られないが、恐らく営州などのソグド人有力者であったとみられ、母は突厥の名族阿史徳氏出身の「巫師」であったという。 『新唐書』巻225上 安禄山伝などによると、「軋犖山」という名の突厥の軍神に巫女であった母が祈ったところ、穹廬(ゲルなどのテント)を光が照らして懐妊し、野獣はことごとく鳴くなど祥瑞が現れた、と出生に関わる奇瑞譚が載せられている。また、当時、節度使であった張仁愿がこれを知り殺そうとしたが、なんとか逃れることができたという伝承もある。 父は早くに亡くなったが、母はその後に突厥の有力者である安延偃と再婚した。安延偃には唐に仕えて「胡将軍」と呼ばれていた安波注という弟がおり、安波注とその息子たちは唐と突厥の双方に仕えたソグド人軍閥の有力者の一門であった。 開元年間初期、十代の時に、突厥の混乱中により、養父の安延偃の姻戚である胡将軍・安道買、安延偃の息子である安思順、安文貞とともに、唐の嵐州別駕となっていた安道買の息子の安貞節を頼り、唐に亡命してきた。この時、安思順と兄弟の契りを結び、養父の姓をとって安禄山と名乗るようになった。 安禄山は突厥や契丹、奚などの諸勢力が混在する地域に育ったせいか「六蕃語」、6ヶ国語〔『安禄山事迹』によると、「九蕃語」に通じていたという。〕に堪能であったため、初め互市牙郎(貿易官)に任じられた。ずる賢く、残忍で、機転が効き、人に取り入るのに巧みであったと伝えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安禄山」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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