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安積町(あさかまち)は福島県中通り中部の安積郡に属していた町。現在の郡山市安積町地区。 このページでは、合併前の安積町と合併後の郡山市安積町地区の両方を併載する。 == 概要 == 5世紀から6世紀にかけて、安積郡付近にまで勢力を拡げた大和朝廷は、この地域の支配を確実なものとするため地域の統治を行わせる国造として阿尺国造を置き、比止禰命という人物を任命した。 この『阿尺』が『安積(あさか)』の地名の由来といわれている。 古くから交通の便が良く、鎌倉時代頃には奥大道(奥州大路)、江戸時代には奥州街道、そして近代には国道4号や東北本線がこの地域を経由しており、周囲の地域に比べて比較的早くから栄えた。 安積永盛駅の設置後は、小規模ながらも商店街や工場、市場等からなる市街地を形成しており、郡山市編入前からの住民は、郡山市中心部ではなく安積永盛駅付近を指して『街』と呼ぶことも少なくない。 ただし、郡山市とは市街地同士の距離が近いため、南拠点地域(郡山操車場跡地)の開発や国道4号沿いの店舗の立地等により、市街地が徐々に郡山市と一体化しつつある。 郡山市内へのアクセスが非常に便利なことから、郡山市との合併後は郊外にいくつかのニュータウンが建設されている。 それもあって、郡山市内の地域別の人口分布を見ると、安積町地域は合併前の旧郡山市地域に次ぐ人口がある。 安積町日出山地域には、阿武隈川が蛇行して流れていた名残で一部、阿武隈川の対岸に取り残された島のような地域がある。 この地域は阿武隈川跡の池に囲まれており、安積町側からは歩行者を除き、田村町を経由しないと入れない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安積町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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