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安藤まり子 : ウィキペディア日本語版
安藤まり子[あんどう まりこ]

安藤 まり子(あんどう まりこ、1929年昭和4年)2月2日 - )は、日本の歌手。所属事務所はミュージックオフィス合田。
== 経歴 ==
北海道北見市出身。1945年(昭和20年)、終戦の年に上京し、武蔵野音楽学校(現・武蔵野音楽大学)卒業。
卒業と同時に日本コロムビアの専属となり、1949年(昭和24年)に藤山一郎と一緒に吹き込んだデビュー曲『花の素顔』(同名松竹映画の主題歌)がヒット。
1953年(昭和28年)には前年、コロムビアが行った全国歌謡コンクールの課題曲歌詞募集の入選作であった『毬藻の唄』が爆発的ヒットするも、歌手の若山彰と結婚(のち離婚、後年再婚)のため、引退。
その後は江戸千家茶道師範などで生計を立てていたが、1982年(昭和57年)に二葉あき子並木路子池真理子胡美芳らに誘われ、コロムビア五人会の1人として歌謡界復帰し、五人会結成コンサート「あなたのために唄います」を開催。五人会結成の際、「またみんなで一緒に歌おう」との呼び掛けに「冗談だとばかり思ってハイ、ハイと返事をしてしまった」そうだ。 
1986年(昭和61年)、リサイタルを開催。
1987年(昭和62年)暮れ、東京プリンスホテルでディナーショーを開催。
1988年(昭和63年)秋、故郷の北海道北見市で初のリサイタルを開催。
2000年(平成12年)に池真理子、翌年に並木路子が死去。2009年(平成21年)に胡美芳が死去し、2011年(平成23年)に二葉あき子が死去したため、現在は五人会の唯一の現役歌手として、意欲的に歌手活動を続けている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安藤まり子」の詳細全文を読む



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