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安藤三郎 : ウィキペディア日本語版
安藤三郎[あんどう さぶろう]

安藤 三郎(あんどう さぶろう、1883年12月24日 - 1963年8月1日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将
== 経歴 ==
黒羽藩家老・安藤小次郎の長男として生れる。東京府立第四中学校を経て、1905年11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第8連隊付となる。歩兵第66連隊付などを経て、1917年11月、陸軍大学校(第29期)を卒業した。
歩兵第66連隊中隊長、陸士教官、参謀本部員、中国政府招聘(北京陸軍大学校教官)、歩兵第40連隊付などを歴任し、1925年5月、航空兵科に転じ航空兵少佐となり下志津陸軍飛行学校教官に就任した。陸大教官、飛行第7連隊長、陸軍航空本部第1課長などを経て、1934年12月、陸軍少将に進級。
航空本部付、欧州出張、陸軍航空技術学校長、航空本部第1部長、第2飛行集団長などを歴任し、1938年3月、陸軍中将となった。下志津飛行学校長の後、航空兵団司令官として満州の防空に当った。軍事参議官を経て、1942年8月、予備役に編入された。1944年8月から1946年3月にかけて立川飛行機社長を務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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