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安藤利吉 : ウィキペディア日本語版
安藤利吉[あんどう りきち]

安藤 利吉(あんどう りきち、1884年明治17年)4月3日 - 1946年昭和21年)4月19日)は、日本陸軍軍人陸軍大将正三位勲一等功二級宮城県仙台市出身。旧制宮城県第二中学校陸軍士官学校16期。陸軍大学校26期。第19代台湾総督
== 経歴 ==
安藤房太郎の長男として生まれる。
1940年(昭和15年)2月10日、南支那方面軍司令官に着任。同年6月に北部仏領インドシナへの進駐を指揮する(仏印進駐)。当初は政府方針に基づき武力に拠らない進駐を進める予定だったが、参謀本部第一部長富永恭次少将が独断で武力進駐を行うという事件が発生。安藤はこの事件の責任を負い、1941年(昭和16年)1月に予備役となった。
同年11月に再召集され台湾軍司令官に着任。1944年(昭和19年)9月22日には第10方面軍司令官に着任した。その後同年12月30日、台湾総督も兼任。
敗戦後の10月25日、台北公会堂において中華民国政府及び連合国代表陳儀と、台湾総督兼第10方面軍(台湾軍の後身)司令官であった安藤利吉との間で降伏文書調印が行われた。その後、中華民国政府に拘束され、1946年(昭和21年)に抑留先の上海で服毒自殺した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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