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安藤定房[あんどう さだふさ] 安藤 定房(あんどう さだふさ、寛文12年(1672年)- 寛保3年4月13日(1743年5月6日))は、江戸幕府旗本で茶人。阿久和安藤氏5代目。安藤正程の子。通称は大膳、治右衛門。官途は従五位下、若狭守。号は残雪庵、妙雲庵。法名は道円。室は大久保忠兼の娘。子女に大久保忠根室、安藤定殻、大久保忠郷室、中坊秀亨(ひでみち、中坊秀成養子)ら。 延宝7年(1679年)父の没後家督を継ぎ小普請となる。元禄9年(1696年)小姓組となり、元禄13年(1700年)徒頭となり布衣を許される。宝永2年(1705年)甲斐国内の領地を武蔵国高麗郡、比企郡、入間郡内に移された。宝永4年(1707年)新番頭、享保8年(1724年)江戸城西丸留守居となり、従五位下若狭守に叙任された。享保9年(1724年)春、福岡藩士笠原道桂より茶書南方録を書写しこれの普及に尽くした。寛保元年(1741年)旗奉行となった。江戸・早稲田に龍善寺を建立する為に領民に年貢の増納を命じた。寛保3年、定房の圧政に苦しんだ農民たちが老中松平信祝に駕篭訴する事件が起き、その直後没した。家督は嫡男定殻が継ぐが蟄居処分を受けた。墓所は定房の開基した龍善寺。 == 参考文献 ==
*日本人名大辞典(講談社) *定房' わがまち瀬谷第30号(平成22年7月発行) *寛政重修諸家譜第17
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤定房」の詳細全文を読む
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