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安藤正珍 : ウィキペディア日本語版
安藤正珍[あんどう まさよし]
安藤 正珍(あんどう まさよし、慶長9年(1604年) - 寛文6年11月12日1666年12月7日))は、江戸時代初期の旗本。三河安藤氏の分家の阿久和安藤氏安藤正次の子。通称は次右衛門。室は椋原壱岐政長の娘。弟に安藤正頼。子に安藤正程滝川征盛室。
== 経歴 ==
父が1615年の大坂夏の陣で深傷を負い自刃し家督を継ぐ。この年領地の阿久和に観音寺を創建した。御小姓組より徒頭を努め槍奉行及び諸国巡視役となる。寛永10年(1633年)に初の宇治採茶使神尾守勝近藤用行朽木友綱と務める。同年の知行は2540石となる。鍵屋の辻の決闘荒木又右衛門に殺害された河合又五郎を江戸屋敷で匿ったとされている。幕府の裁定は喧嘩両成敗となり、久世広当阿倍正之とともに寛永寺へ百日間の寺入りを命ぜられた。墓所は横浜市瀬谷区阿久和にある通称・お墓山。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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