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安藤 治久(あんどう はるひさ、1937年4月3日 - )は、静岡県伊豆の国市出身の元プロ野球選手(投手)。 ==来歴・人物== 市立沼津高から大昭和製紙吉原へ進み、1958年都市対抗野球大会での丸善石油の西五十六との延長15回に及ぶ投げ合いなどが注目され、1959年阪急ブレーブス入団〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、27ページ〕。 米田哲也・梶本隆夫の2投手で支えていた低迷期の阪急ブレーブス(通称:ヨネカジコンビ時代)にて、2人に次ぐ年間登板数を重ねていた。 6年間の現役生活の末、1964年シーズンを以って現役引退。 1960年6月12日の西鉄ライオンズ戦で勝利投手になり、これは阪急の歴代右投手があげた1000勝目。 阪急(オリックス)は伝統として右投げの名投手が多く、2005年シーズンまでの通算4360勝のうち、3500勝が右投手によるものである。2000勝目は1976年に山口高志、3000勝目は1995年に野田浩司があげている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤治久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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