翻訳と辞書
Words near each other
・ 安藤泰作
・ 安藤泰洋
・ 安藤洋一
・ 安藤洋子
・ 安藤洸平
・ 安藤浩和
・ 安藤淳
・ 安藤淳也
・ 安藤満
・ 安藤源五郎
安藤為章
・ 安藤照
・ 安藤狂四郎
・ 安藤玉恵
・ 安藤由紀子
・ 安藤由翔
・ 安藤百福
・ 安藤百福センター
・ 安藤百福発明記念館
・ 安藤百福記念 自然体験活動指導者養成センター


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

安藤為章 : ウィキペディア日本語版
安藤為章[あんどう ためあきら]
安藤 為章(あんどう ためあきら、万治2年5月23日1659年7月12日) - 享保元年10月13日1716年11月26日))は、江戸時代初期から中期にかけての国学者。名は為明、為章。通称は右平、新介。年山と号する。兄は安藤抱琴(為実)。
==生涯==
伏見宮に仕える安藤朴翁の次男として丹波国桑田郡(現京都府)に生まれる。儒学伊藤仁斎に、和歌中院通茂に学ぶ。兄の為実とともに最初は伏見宮に仕え、後に2人とも水戸藩徳川光圀に招かれて彰考館寄人となり『大日本史』『礼儀類典』『釈万葉集』の編纂に従事した。光圀の命令で契沖のもとに万葉集の註釈を教わりにたびたび出かけることとなり、ついには契沖の門人となる。水戸藩から家禄を加増する命があったが、実子がないことを理由にこれを断り、養子もとらず家が絶えた。伴蒿蹊は「人のなし難き所にして、吾が天を安んずるの節義称すべし」と評す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安藤為章」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.