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安藤狂四郎 : ウィキペディア日本語版
安藤狂四郎[あんどう きょうしろう]
安藤 狂四郎(あんどう きょうしろう、1893年明治26年)3月8日 - 1982年昭和57年)2月14日)は、日本の内務官僚。官選府県知事
== 経歴 ==
大分県出身。地主・安藤勝市の四男として生まれる。大分中学第五高等学校を経て、1918年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格。同年11月、内務省に入り、新潟県属として内務部学務課に配属された。
1919年4月、新潟県警部警察部警務課長に就任。以後、内務省衛生局保険課勤務、鹿児島県出水郡長、栃木県内務部農商課長、同庶務課長兼地方課長、東京府内務部庶務課長、岩手県書記官警察部長、内務書記官・警保局高等課長、東京府書記官・学務部長、静岡県書記官・内務部長、東京府書記官・内務部長などを歴任。
1935年1月、茨城県知事に就任。三重県知事を経て、1937年11月、内務省土木局長に転じた。1939年1月、警保局長となり、同年9月まで在任。1941年1月、京都府知事となる。由良川改修事業を推進した。1943年7月に京都府知事を退任。1944年7月、最後の大政翼賛会事務総長に就任。1945年6月まで務め退官した。1946年10月から1951年9月まで公職追放となった。
その他、大丸顧問、八重洲駐車場取締役、東九州自動車社長などを務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安藤狂四郎」の詳細全文を読む



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