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安藤直之[あんどう なおゆき]
安藤 直之(あんどう なおゆき)は、江戸時代中期-後期の旗本(寄合)。石高は4535石。 ==生涯== 寛保2年(1742年)12月22日、遠江浜松藩主・松平信祝の五男として江戸で生まれる(幕府には元文5年(1740年)生まれと届ける)。同族である上野高崎藩主・松平輝高の仮養子となっていたが、輝高の実子が成長して丈夫届を幕府に提出したため、宝暦4年(1754年)7月に解消された。宝暦6年(1756年)2月23日に250石を与えられ、三河吉田藩谷中下屋敷の山之屋形へ引越す。 明和3年(1766年)8月11日に旗本・安藤直元の婿養子となり、直之と名乗る。明和4年(1767年)3月19日に初めて将軍・家治に拝謁した。明和6年(1769年)4月15日、養父・直元の隠居により家督を相続した。明和8年(1771年)3月27日に中川御番、安永2年(1773年)12月12日に火消役となる。同年同月16日、布衣の着用を許される。安永9年(1780年)11月15日に百人組頭、寛政4年(1792年)12月24日に小姓組番頭となる。同年同月28日、従五位下伊予守に叙任される。寛政9年(1797年)6月5日に西丸書院番頭、寛政10年(1798年)12月10日に書院番頭となる。享和3年(1803年)閏1月30日に大番頭となり、二条在番を勤める。文化2年(1805年)2月29日に駿府城代となり、同年8月11日に在職のまま駿府で病死した。享年64(公的には66)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤直之」の詳細全文を読む
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