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安藤統夫 : ウィキペディア日本語版
安藤統男[あんどう もとお]

安藤 統男(あんどう もとお、本名・安藤 統夫※読み同じ、1939年4月8日 - )は、兵庫県芦屋市生まれ、茨城県土浦市出身の元プロ野球選手監督野球解説者
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
土浦一高にて木内幸男に1、2年次に指導を受ける。高校3年次に遊撃手、控え投手として1957年夏の甲子園に出場。山本秀一三塁手のいた県和歌山商を降し2回戦に進出するが、後に大学同期となる県岐阜商の清沢忠彦投手(慶大住友金属) に完封を喫する。県岐阜商の二塁手高木守道であった。
卒業後は慶應義塾大学に進学。東京六大学リーグでは優勝に届かなかったが、1960年秋季リーグの早慶六連戦で活躍〔サヨナラのチャンスに三塁走者として本塁タッチアウト。後年も安藤は「あのプレーはセーフだった」と言っている。〕、4年時には主将を務めた。在学中には、リーグ戦で通算103試合に出場。382打数105安打、1本塁打、30打点、打率.275という成績を残すとともに、遊撃手としてベストナイン(遊撃手)を2回獲得している。
大学卒業後の1962年に、阪神タイガースへ入団。担当スカウトは佐川直行で、当時のトレーニングコーチ・篠田仁が仲介したとされる。背番号は9

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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