翻訳と辞書 |
安藤順三[あんどう じゅんぞう]
安藤 順三(あんどう じゅんぞう、1935年6月28日 - )は、岐阜県多治見市〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、26ページ〕出身の元プロ野球選手(捕手)。 == 来歴・人物 == 多治見工業高校ではエースの梶本隆夫を擁し、に岐阜大会を勝ち抜き、三岐大会決勝に進出するが津高に完封負け、甲子園出場を逸する〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。 に東映フライヤーズへ入団。には山本八郎の三塁手転向によって正捕手となり、初めて規定打席にも到達(25位、打率.184)する。山本は翌に捕手へ復帰するが、には一塁手に回る。再び正捕手となった安藤は同年からまで3年連続でオールスターゲームに出場し〔、のリーグ優勝・日本一にも貢献する。しかしには白仁天・種茂雅之の成長もあって定位置を譲り、限りで現役を引退。 現役時代は2回退場処分を受けている〔日本プロ野球事件史―1934ー2013、2013年、ベースボール・マガジン社、P110〕。 引退後は東映・日本ハムでコーチ(, - )、二軍監督( - )を務め、フロント入り。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安藤順三」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|