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安達高景 : ウィキペディア日本語版
安達高景[あだち たかかげ]

安達 高景(あだち たかかげ、生没年不明)は、鎌倉時代末期の武将。鎌倉幕府御家人安達時顕嫡男安達氏最後の秋田城介
== 略歴 ==
元服時に北条氏得宗家当主・鎌倉幕府第14代執権北条高時より偏諱を受けて高景と名乗る〔得宗家は本来ならば将軍の下で一御家人という立場にありながら、烏帽子親関係による一字付与を利用して、他の有力御家人を統制したことが指摘されており(紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年) 、北条高時の代には「得宗→御家人」という図式で「高」の字が下賜されていたという見解がある(角田朋彦 「偏諱の話」(『段かづら』三・四、2004年)) 。〕。尚、安達氏嫡流の「秋田城介家」は景盛義景泰盛宗景と続き、「○盛」と「○景」が交互に名付けられていることが窺え、高景の場合も「○景」という名付け方であることから、元服した後に宗景の後継となることが決まった父・時顕とは違って、元服の段階で既に秋田城介の継承者となることが決定していたとする見解もある〔細川、2007年、p.153。〕。また、姉妹が高時の正室であり、内管領長崎円喜の娘を妻として〔父時顕と共に得宗家の外戚として権勢を強めた。元徳3年(1331年)、後醍醐天皇の退位を促す使者として二階堂貞藤とともに上洛している〔。
太平記』によれば、元弘3年/正慶2年(1333年)5月の鎌倉幕府滅亡(東勝寺合戦)に際し、東勝寺で高時ら北条一門と共に自害したとされている〔『太平記』巻第10 「高時幷一門以下於東勝寺自害事」に見られる安達氏の自害者は、「城介高量」・「同式部大夫顕高」(高景の弟=『尊卑分脉』)・「同美濃守高茂」(父・時顕の従兄弟=『尊卑分脉』)・「秋田城介入道延明」(=父・時顕)であり、「城介高量」は高景の誤記とされている(細川・2000年・巻末基礎表P.68)。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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