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安部幸兵衛 : ウィキペディア日本語版
安部幸兵衛[あべ こうべえ]

安部 幸兵衛(あべ こうべえ、弘化4年9月18日1847年10月26日) - 大正8年(1919年9月6日)は、幕末の商人、明治大正期の実業家。増田屋安部幸兵衛商店を興し、糖商として名を馳せた。横浜舶来砂糖貿易引取組合を組織し、多くの会社の設立に携わり、社長・役員を務めた。従五位。
==略歴==
弘化4年(1847年)9月18日、越中国富山城下八尾宿茂に生まれ、父は加島和兵衛、母は美津、幼名を岩次郎と称した。3歳の時に母に抱かれて江戸へ出る。伯父であった阿部長兵衛に実子が無く、養子に入り幸次郎と改名した。
安政6年(1859年)、13歳で江戸堀江町の海産物商榎並屋庄兵衛支店に丁稚奉公した。同年榎並屋が横浜港の開港に先立って横浜に支店を設けた際に、志願して横浜支店へ出向いた。榎並屋は明治7年に支店を閉じるが、支配人の増田嘉兵衛と共同で商売を継続した。
明治17年(1884年)、横浜市南仲通3丁目に増田屋安部幸兵衛商店の看板を掲げて独立。砂糖・小麦粉・石油及び日用品の貿易商として営業を行った。
明治22年(1889年)、横浜市議会議員となり、明治28年(1895年)には横浜商工会議所の常任委員に選任された。
明治28年(1895年)、横浜舶来砂糖貿易引取組合を組織し組合長となる(同組合は、明治40年(1907年)に横浜砂糖貿易商組合と改称)。
その後、製糖業・製粉業・紡績業の会社の起業や組織の設立に携わった。帝国製粉(現・日本製粉により合併)、磐城セメント(現・住友大阪セメント)、横浜製糖(現・大日本明治製糖)、塩水港精糖、日清紡績(現・日清紡ホールディングス)、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)、日本工業倶楽部などの設立に携わった。
大正6年(1917年)、食道癌を患う。
病状悪化の折、神奈川県に金100万円の寄附を申し出て、この資金によって神奈川県立商工実習学校(現・神奈川県立商工高等学校)が開校された。
大正8年(1919年)、従五位に叙せられるが、同年9月6日に食道癌のため逝去した。享年73。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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