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安部息道 : ウィキペディア日本語版
安倍息道[あべ の おきみち]
安倍 息道(あべ の おきみち、生年不詳 - 宝亀5年3月4日774年4月19日))は、奈良時代貴族。氏は阿倍、名は奥道〔『万葉集』巻8-1642〕とも記される。娘に藤原真永室がいる〔『尊卑分脈』〕。官位従四位下但馬守


== 経歴 ==
天平宝字6年(762年従五位下若狭守に叙任され、翌天平宝字7年(763年大和介に転じる。
天平宝字8年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱では、孝謙上皇側に付いて一挙に3階昇進して正五位上に叙せられ、乱後に摂津大夫に栄転する。翌天平神護元年(765年)に乱での功労により勲六等の叙勲を受ける。称徳朝では左衛士督中務大輔を務める傍ら、天平神護2年(766年)には従四位下に昇叙された。しかしその後、何らかの理由により罰せられ、官位剥奪の上で阿倍朝臣から息部(無姓)に改姓させられている。
光仁朝に入ると罪を赦されて、宝亀2年(771年)従四位下・内蔵頭に叙任され、翌宝亀3年(772年)には本姓の阿倍朝臣に復している。宝亀5年(774年)3月4日卒去。最終官位は但馬守従四位下。
大伴旅人の邸宅で詠んだ和歌作品1首が『万葉集』に採録されている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「安倍息道」の詳細全文を読む



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