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宋 小濂(そう しょうれん)は清末民初の政治家。中華民国の初代黒竜江省都督である。字は鉄梅、友梅。 == 事績 == 清朝の国子監生。黒竜江将軍文案、候補知府、ハルビン鉄路交渉局総弁、海倫同知、フルンボイル副都統などを歴任した。1911年(宣統3年)、黒竜江布政使に昇進し、あわせて署黒竜江巡撫となった。 中華民国建国後の1912年(民国元年)3月、初代黒竜江省都督に任命された。翌民国2年(1913年)、同省民政長を兼任した。同年8月、辞職し、参政院参政に異動した。後に中東鉄路督弁に就任している。1922年(民国11年)1月、辞任した。 1926年(民国15年)1月、病没。享年64。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宋小濂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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