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宋渾[そう こん] 宋 渾(そう こん、生年不詳- 没年不詳))は唐代玄宗朝の政治家。名宰相と言われた宋璟の子。 ==経歴== 李林甫と仲が良く、諫議大夫、平原太守、御史中丞、東京採訪使を歴任した。平原では激しい収斂を行った。また、東方に使わされた時、薛稷の姪の鄭氏が未亡人で美貌であると聞き、河南尉の楊朝宗に奪い取らせ、献上させた。 天宝九載(750年)に、楊国忠の画策で、収賄の罪で嶺南の高要郡に配流させられた。〔『資治通鑑』では、この時点で御史大夫に就任している。〕 この時、顔真卿が彼を弁護し、左遷させられている。一度は恩赦にあったが、横暴を極め、訴えられ、潯江郡に流された。 広徳年間に、彼を太子諭徳に取り立てようという話があった。しかし、どん欲ぶりが物議をかもし、起用されることなく、その地で死んだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宋渾」の詳細全文を読む
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