|
『完全な真空』(かんぜんなしんくう、''Doskonała próżnia'')は、1971年にポーランドの作家スタニスワフ・レムにより発表された、実在しない書籍に対する架空の書評集である。『完全な真空』はレムの作品集であると見なすことも可能であり、ある書評は読者に対してレムのSF小説の草稿を連想させ、宇宙論からコンピュータの普及などの科学的な話題に関する哲学的な思索の断片が読み取れる。その一方で、別の書評にはヌーヴォー・ロマンからポルノグラフィ、『ユリシーズ』、著者の無い本、ドストエフスキーにまで至る、あらゆる書籍に対する風刺とパロディが含まれている。 実在しない書籍の書評というアイデアは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスによる『ハーバート・クエインの作品の検討』などに先例が見られるように、レム独自のものではないが、そういった架空の書評を集めた一冊の書評集というアイデアは、レム独自のものである〔ちなみにボルヘスは自らの書いた序文を集めた『序文付き序文集』の序文の中で「架空の書物の序文集」というアイデアにも触れているが、レムの『虚数』はまさしくそのアイデアを実現したものとなっている。〕。レムはそれぞれの架空の書籍に対して、異なった架空の著者と架空の評者を創作することを試みた。レム自身の言葉によれば、「私は様々な形式の模倣に挑みました――それは、書評、講義、プレゼンテーション、(ノーベル賞受賞者の)演説などです」との通りである。ある書評は専ら物語に焦点が当てられた陽気なものであるが、別の書評はより真剣な学術的考察を含んでいる。ある書評はパロディであったり、あるいは書評されている本そのものがパロディ作品であったり、実現不可能なものであったりする。別の書評は非常に真面目なものであり、レム自身がそれを書くための時間を取れなかった小説の草稿のようにも見える。この書評集において、レムはポスト・モダン主義者の「戯れのための戯れ」というエトスを批判し、その手法自体をもってその手法に反論したのだと見ることも出来る。 == 収録されている書評 == *『完全な真空』 スタニスワフ・レム (Stanisław Lem: ''Doskonała próżnia'') *『ロビンソン物語』 マルセル・コルスカ (Marcel Costat: ''Les Robinsonades'') *『ギガメシュ』 パトリック・ハナハン (Patrick Hannahan: ''Gigamesh'') *『性爆発』 サイモン・メリル (Simon Merril: ''Sexplosion'') *『親衛隊少将ルイ十六世』 アルフレート・ツェラーマン (Alfred Zellermann: ''Gruppenführer Louis XVI'') *『とどのつまりは何も無し』 ソランジュ・マリオ (Solange Marriot: ''Rien du tout, ou la conséquence'') *『逆黙示録』 ヨアヒム・フェルセンゲルト (Joachim Fersebngeld: ''Perycalypsis'') *『白痴』 ジャン・カルロ・スパランツァーニ (Gian Carlo Spallanzani: ''Idiota'') *『あなたにも本が作れます』 (''Do yourself a book'') *『イサカのオデュッセウス』 クノ・ムラチェ (Kuno Mlatje: ''Odys z Itaki'') *『てめえ』 レイモン・スーラ (Raymond Seurat: ''Toi'') *『ビーイング株式会社』 アリスター・ウェインライト (Alistar Waynewright: ''Being Inc.'') *『誤謬としての文化』 ヴィルヘルム・クロッパー (Wihelm Klopper: ''Die Kultur als Fehler'') *『生の不可能性について/予知の不可能性について』 ツェザル・コウスカ (Cezar Kouska: ''De Impossibilitate Vitae''; ''De Impossibilitate Prognoscendi'') *『我は僕ならずや』 アーサー・ドブ (Arthur Dobb: ''Non serviam'') *『新しい宇宙創造説』 アルフレッド・テスタ(Alfred Testa: ''Nowa Kosmogonia'') 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「完全な真空」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|