|
繩果(じょうか、女真音:ヒェンガ、生年不詳 - 天会2年(1125年)7月)は、金の皇族。漢名は宗峻。太祖阿骨打の次男。母は聖穆皇后唐括氏。爵位は汴王。 == 生涯 == 嫡子であったために父の太祖から正式な後継者と定められ、父に従軍して功績を立てる。後に叔父の呉乞買に従軍して、遼の中京と西京を攻略中に、重傷を負ってしまう。天会2年(1125年)、それが原因で破傷風に罹り、間もなく死去した。 なお、繩果の未亡人の蒲察氏は異母兄の斡本(宗幹)に再嫁した。そのために斡本は2人の甥の養父となり、その後見役となった。 やがて、長男の合刺(熙宗)が即位すると、亡父に対して、徽宗の廟号と景宣皇帝の諡号を贈った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「繩果」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|