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末帝(まってい)は、金の第10代(最後)の皇帝。女真名は呼敦(ホトン)、漢名は承麟(しょうりん)。太祖・阿骨打の長兄である康宗・烏雅束(ウヤス)の末裔〔『続資治通鑑』より〕。 == 生涯 == 天興3年(1234年)に族兄(遠縁の“いとこ”)の哀宗から譲位されたが、譲位より半日後、淮西の蔡州城を脱出した際にモンゴル軍により捕らえられ、即日殺害された後に梟首され、金の皇統は絶えた(これは中国史上における皇帝の在位最短記録とされている)。こうして、金は太祖以来119年の歴史を終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「末帝 (金)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Emperor Mo of Jin 」があります。 スポンサード リンク
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