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完顔重節 : ウィキペディア日本語版
完顔重節

完顔 重節(かんがん じゅうせつ、生没不詳〔明末の口語小説集『醒世恒言』によれば、母が昭妃とされた時、重節は13歳であった。しかし、重節の生年を記載した史料はない。また、『金史』列伝第1・后妃上によれば、海陵王に奪取された重節は既婚者であった。『金史』列伝第1・后妃上「寿甯県主什古、宋王宗望女也;靜樂県主蒲刺及習撚、梁王宗弼女也;師姑児、宗雋女也、皆従姉妹;混同郡君莎裏古真及其妹余都、太傅宗本女也、再従姉妹;郕国夫人重節、宗磐女孫、再従兄之女;及母大氏表兄張定安妻奈刺忽、麗妃妹蒲魯胡只、皆有夫。唯什古喪夫。海陵無所忌恥、使高師姑、内哥、阿古等傳達言語、皆與之私。」〕)は、の廃帝海陵王の妃嬪。太宗の曾孫で完顔氏の一族であり、また母である蒲察阿里虎も海陵王の妃嬪であった。
== 生涯 ==
父は皇族の阿虎迭(蒲魯虎の息子)であり、母は美貌で知られた蒲察阿里虎
母である阿里虎は正隆2年(1157年)に海陵王の妃とされた。しかしその後、海陵王は重節とも関係を持った〔『金史』 巻63 列伝第1 后妃上:「昭妃初嫁阿虎迭,生女重節。海陵與重節亂。」〕。それを知った阿里虎は激怒し、重節を強く非難して頬を平手打ちにした〔『金史』 巻63 列伝第1 后妃上「阿裏虎怒重節,批其頰,頗有詆訾之言。海陵聞之,愈不悦。」〕。海陵王はこれを知ると阿里虎に対して怒り、彼女を1160年に絞殺した〔金史』 巻63 列伝第1 后妃上「海陵怒蒲察氏,終殺之者也。」〕。
重節は国夫人とされており、さらに昭妃に進み、蓬莱県主とされた〔『金史』 巻63 列伝第1 后妃上〕。その後の事跡は不明であり、海陵王が殺害された前後にどのような状態にあったかかはわからない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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