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宍戸就延[ししど なりのぶ] 宍戸 就延(ししど なりのぶ、寛永20年(1643年) - 享保7年(1722年))は、長州藩毛利氏家臣。宍戸氏第18代当主。 父は熊谷元実。祖父は宍戸広匡。母は杉重政の娘。兄は宍戸就附、熊谷就実。正室は毛利就泰の娘。養子は宍戸広隆。通称は八助、修理、備前、志摩、丹波、主計。諱は隆道、就宗、就延。 == 生涯 == 寛永20年(1643年)毛利家家臣熊谷元実の子として生まれる。延宝4年(1676年)、実兄宍戸就附の死去によりその家督を相続し、三丘領主、長州藩一門家老となる。天和2年(1682年)、朝鮮通信使来朝の際に赤間関で接待役を務める。宝永元年(1704年)幕府より江戸城普請助役を命じられ、普請惣奉行を務める。正徳5年(1715年)、万役山事件により長州藩と支藩徳山藩が対立し、翌正徳6年(1716年)に特使として徳山藩に派遣され、藩主毛利元次の説得にあたるも、宗家の意向を尋ねる元次に対して「よくお考えください」と述べるだけで要領を得なかったため不調に終わる。享保7年(1722年)死去。享年80。家督は実兄熊谷就実の子の広隆が相続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宍戸就延」の詳細全文を読む
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