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宍戸真澂[ししど ますみ] 宍戸 真澂(ししど ますみ、文化元年8月13日(1804年9月16日) - 元治元年11月12日(1864年12月10日))は江戸時代末期の勤皇家、萩藩士。通称は山三郎、九郎兵衛、左馬之介。名は忠美。号は橘廂、鳰浮巣翁、宍翁。長門萩生まれ。贈正四位。父は林隆州。養父は宍戸知之。子に宍戸小弥太。 == 生涯 == 毛利一門宍戸氏の一族である。萩藩の重臣として活躍し、萩藩大坂屋敷の留守居役を務めた。若き頃に伴信友や近藤芳樹に師事して、国学を熱心に学び、勤皇思想に感化され、勤皇の志士として活動した。 同藩の来島又兵衛、久坂玄瑞らとも気脈を通じて活動したが、1864年の禁門の変に連座して自害した。 辞世の歌は「われならぬ 人のしをりを たどりつゝ たか根に匂ふ はなをみるかな」。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宍戸真澂」の詳細全文を読む
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