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宗不旱 : ウィキペディア日本語版
宗不旱[そう ふかん]
宗 不旱(そう ふかん、1884年5月14日 - 1942年5月末)は、歌人。万葉調の歌をよみ、漂泊の歌人と称された〔熊本日日新聞編纂『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、503頁〕。
== 概略 ==
1884年(明治17年)、熊本県熊本市上通町に父嘉次郎の長男として生まれ、熊本県鹿本郡来民町(現山鹿市鹿本町来民)の祖父嘉七の家で育つ。本名は耕一、のち耕一郎と称した。不旱は号である〔井上智重 『異風者伝』 熊本日日新聞社、2012年、281-286頁〕。
熊本市の済々黌を退学し、長崎の鎮西学院を卒業する。1902年(明治35年)熊本医学校に入学するが、中退。上京し、窪田空穂の知遇を得て、作歌をはじめる。1912年大正元年)より朝鮮半島に渡り、中国台湾などを10年以上にわたって放浪。放浪中は中国の詩書を学びつつ硯作りの技術を身につけた。1923年(大正12年)に帰国、硯工として生計を立てながら作歌、評論活動を続ける〔。
1942年昭和17年)、熊本県阿蘇郡阿蘇町内牧(現阿蘇市内牧)を出て、失踪、行方不明となった。終焉の地は、菊池郡旭志村(現菊池市旭志)の鞍岳山中とされ〔、同年9月25日に遺体が発見された〔宗不旱歌碑 終焉の地 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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