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宗義如[そう よしゆき]
宗 義如(そう よしゆき)は、対馬府中藩の第8代藩主。 == 生涯 == 享保元年(1716年)10月18日、第6代藩主・宗義誠の長男として生まれる。享保15年(1730年)に父が死去したとき、若年のために家督は継げず、代わって叔父の方熈が継いだ。享保16年(1731年)5月、義如は方熈の養子となり、12月に従四位下、刑部大輔に叙位・任官される。享保17年(1732年)9月11日、方熈が隠居したため、家督を継いで第8代藩主となった。このとき、対馬守に任官され、12月に侍従に任官される。 朝鮮貿易の衰退などから対馬府中藩の財政は悪化していたが、享保17年(1732年)と享保19年(1734年)の大火などの災害もあってさらに財政悪化が進み、倹約令を出し、延享4年(1747年)には家臣の知行借上を強化するなどした。さらに家老を幕府に派遣して、補助金を得るように交渉した。これにより幕府から毎年1万両を与えられることになったが、寛延3年(1750年)に停止させられた。また、延享4年(1747年)に強訴が起こるなど、改革も効果は無かった。 宝暦2年(1752年)1月5日、当時対馬で流行していた疱瘡が原因で死去した。享年37。跡を弟で養子の義蕃が継いだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗義如」の詳細全文を読む
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