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宗谷丸(そうやまる)は、太平洋戦争終戦直後まで鉄道省(日本国有鉄道の前身)が稚泊連絡船で使用していた貨客船である。稚泊連絡船は、北海道稚内と当時日本領だった樺太大泊との間を結んでいた。 船名は宗谷海峡に由来する。僚船に「亜庭丸」がある。冬季には流氷に閉ざされる海域で運行されるため、本格的な砕氷船として設計された。1942年(昭和17年)に「高島丸」が完成するまで日本最大の砕氷船であった。 == 沿革 == * 1932年(昭和7年)6月23日 - 横浜船渠にて竣工。 * 12月5日 - 稚泊連絡船に就航。 * 1945年(昭和20年)7月18日 - 西能登呂岬付近でアメリカ海軍潜水艦の攻撃を受けるが、護衛中の第112号海防艦が盾となり、宗谷丸は無傷。 * 8月13日 - ソ連軍南樺太侵攻に伴い樺太からの引き揚げ輸送を開始する。 * 8月23日 - 大泊港からの最終便となり、翌朝の稚内港入港をもって航路消滅する。 * 11月29日 - 青函連絡船に転属となる。 * 1952年(昭和27年)9月 - 広島鉄道管理局に転属。貨物船となり、室蘭~川崎~戸畑間の石炭の輸送に当たる。 * 1954年(昭和29年)10月14日~ 12月24日 - 洞爺丸台風のため青函連絡船で再度旅客輸送に当たる。 * 1958年(昭和33年)11月~ 1965年(昭和40年)6月 - 石炭輸送のかたわら昌慶丸の後継の訓練船を兼任する。 * 1965年(昭和40年)8月11日 - 退役。のちスクラップ化される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗谷丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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