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宗谷海峡(そうやかいきょう)は、北海道の宗谷岬と、ロシア連邦が実効支配中である樺太の西能登呂岬(ロシア名:サハリン島・クリリオン岬)との間にある海峡〔宗谷海峡の流れについて,青田昌秋・石川正雄・山田俊郎,低温科學. 物理篇,47号 P147-160,1989年 〕。東西方向の海峡であり、日本海とオホーツク海を結んでいる〔。海峡幅は最狭部で約42km。 == 概説 == * 宗谷海峡は日本名であり、国際水路機関が定める国際的な名称は、ラ・ペルーズ海峡(英語:''La Pérouse Strait'' ラペルザ)〔「大洋と海の境界(第三版)」(Special Publication No.23) No52 日本海の北東端として。宗谷海峡(Soya kaikyo)も括弧付で併記。〕である。1787年に欧州人で初めて当海峡を通過したとされるフランス軍人の探検家であるラ・ペルーズの名がその由来である。海峡を望む宗谷岬の丘の上に顕彰碑が建立されている。 * 深さは最深部で60mほどしかないので、最終氷期には間宮海峡共々陸橋となり、樺太と北海道はユーラシア大陸と地続きであった〔日本にいる動物はどこから来たの?,神奈川県立生命の星・地球博物館,2004年 〕。 * 動物分布の境界線の一つである「八田線」が当海峡を通るとされる。 * 日本海を北上し間宮海峡に至る対馬海流(暖流)の一部が当海峡からオホーツク海側に抜け、北海道沿いに流れる宗谷暖流になっている〔。このため海流の方向及び水温により、沿岸定着氷や流氷は少ないが、年間数日程度、稚内港方面に押し寄せ、船舶の航行に支障をきたすことがある〔海氷の知識 第一管区海上保安本部 〕。 * 日本海側からオホーツク海側へと当海峡内を暖流が流れているため、北方より「やませ」等の冷涼な風の吹く日には夏でも海霧が立ちやすく、船舶内にレーダー等の装備が普及されていなかった頃は当海峡内やその周辺で海難事故が度々発生していた。 * 樺太日本領時代は鉄道省が稚内より大泊(現:コルサコフ)に至る稚泊連絡船を運航していたが、現在はハートランドフェリーが同じ区間で国際航路を運航している(2015年9月19日廃止)。 * 鉄道トンネル(宗谷トンネル)やガスパイプライン(サハリンプロジェクト)等の海底トンネルを当海峡下に貫通させる構想が戦前より存在するが、国際情勢の変化等により未だ建設決定には至っていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宗谷海峡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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