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宗門奉行 : ウィキペディア日本語版
宗門改[しゅうもんあらため]
宗門改(しゅうもんあらため)は、江戸時代日本江戸幕府によって行われた宗教政策および民衆統制政策。民衆の信仰する宗教を調査する制度である。禁教令の発布に伴いキリシタンの摘発を目的に整備された制度であったが、江戸中期以降は住民調査的な制度に変移していった。
宗門人別改という名称もあるが、これは別の調査制度である人別改が、江戸中期以降に宗門改と事実上統合したことからくる名称である。宗門人別改帳も、本来は宗門改帳と人別改帳という全く別種のものであった。
== 概要 ==
江戸幕府は慶長17年(1612年)に禁教令を発布し、以後、キリスト教を禁制としてキリシタンの捜査や摘発、強制改宗政策を取っていくようになる。
当初、幕府はキリスト像が刻まれた板を踏ませる踏絵密告の奨励(後の訴人報償制)などをキリシタンの取締りの基本とした。やがてキリシタンではないことを仏教寺院に請け負わせてその証明とした寺請制度を創設する。寛永14年(1637年)からその翌年にかけて九州でおきた島原の乱の後、寛永17年(1640年)に幕府は宗門改役を設置する。寛文4年(1664年)に諸に宗門改制度と専任の役人を設置するよう命じ、これ以後、宗門改帳が各地で作成される。寛文5年(1665年)には日蓮宗のうち強硬派である不受不施派が禁制となったことにより、他宗派に改宗させる宗門改の対象となった。
宗門改帳はやがて人別帳に宗旨を記載する宗門人別改帳(宗旨人別帳)に変移し、寛文11年(1671年)に法的に整備されて幕府は諸藩にも作成を義務付ける。ここで宗門改は制度として完成した。宗門改の制度は、明治6年(1873年)キリスト教の禁制が解除されるまで続いた。
明治政府によるキリスト教徒へのスパイ活動は当初は弾正台が明治3年(1870年)6月の「諜者規則」に基づいて行い、翌年7月には新しい太政官制により正院内の監部課が引き継いだ。監部課の異宗諜者の廃止はキリスト教解禁の翌4年(1874年6月)であったが、異宗諜者の報告書は明治9年(1876年)3月まで存在している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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