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定村 忠士(さだむら ただし、1932年1月2日 - 2001年10月30日)は、日本の編集者、評論家、劇作家。 日本フェノロサ学会、日本浮世絵協会会員。 ==来歴・人物== 福岡県北九州小倉出身。旧制五高卒業。1954年、東京大学文学部仏文科卒業。のちに日本読書新聞・日本エディタースクールで同僚となる吉田公彦(旧名:谷川公彦。谷川雁ら谷川兄弟の末弟)とは、五高・東大とおしての同級生。 日本読書新聞に入社し編集者に。1958年の週刊読書人創刊による分裂時にも編集部に残り、編集長の巌浩の片腕として活躍。1962年からは編集長もつとめた。 1965年には谷川雁らが創設したラボ教育センターに入社。のちの、ラボ教育センターの分裂時には、谷川と行動をともにし、1981年「十代の会」の発起人の一人〔発起人は、谷川雁、根本順吉、間宮芳生、定村忠士、高松次郎、高野睦、C・W・ニコル、西藤和〕として同会創立に参加。 また、日本エディタースクール出版部編集委員、同スクール講師をつとめた。 並行して劇作家としても活動。劇団「ぶどうの会」の文芸スタッフを務め、また、劇団民芸などに戯曲を提供した。 評論家としての著作には、伝説の蝦夷の王悪路王についての著や、ライフワークとして研究した浮世絵師写楽についての著などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「定村忠士」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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