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定覚[じょうかく] 定覚(じょうかく、生没年未詳)は日本の鎌倉時代に活動した慶派の仏師。康慶の次男とされ、これが正しいとすれば運慶の弟に当たる。息子または弟子に覚円。 ==経歴==
*建久5年(1194年)、快慶とともに東大寺中門の二天像(持国天、多聞天。永禄10年(1567年)焼失。)を造立する。定覚は西方の持国天像を担当した。(『東大寺続要録』) *建久6年(1195年)、東大寺大仏殿供養に際し、上記の功績により法橋位を受ける。なお、この時運慶は康慶の譲りで法橋より一つ上の法眼、快慶も法橋を受けるがそれを運慶の嫡子湛慶に譲っている。(『東大寺縁起絵詞』) *建久7年(1196年)、康慶、運慶、快慶と共に東大寺大仏脇侍(如意輪観音像・虚空蔵菩薩像)と四天王像(いずれも1567年(永禄10年)焼失)を造立する。定覚は如意輪観音像(快慶と共作)と四天王のうち多聞天像を担当した。(『東大寺続要録』) *建仁3年(1203年)、康慶、運慶、快慶と共に東大寺南大門金剛力士像(国宝)を造立。吽形像の像内納入品の経巻奥書から、同像は湛慶と定覚が大仏師として造像にかかわったことが分かる。同年11月の東大寺総供養の際には、賞を息子あるいは弟子と思われる覚円に譲り、彼を法橋にさせた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「定覚」の詳細全文を読む
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