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定遠君(ていえんくん、チョンウォングン、、万暦8年6月22日(1580年8月2日) - 万暦47年12月29日(1620年2月2日))は、李氏朝鮮の第14代王宣祖と後宮・仁嬪金氏との間に生まれた庶子で、第16代王仁祖の父。諱は(プ、)。諡は恭良敬徳仁憲靖穆章孝大王。明からの諡号は恭良であり、明から諡号を受けた最後の人物である。廟号は元宗(ウォンジョン、)。 == 生涯 == 1587年に定遠君に封じられ、綾安府院君具思孟の娘である仁献王妃と結婚して、 * 仁祖(1595年 - 1649年) * 綾原大君(1598年 - 1656年) * (綾昌君)(1599年 - 1615年) * 綾豊君(庶子、夭逝) の4男を儲けた。 長男が王位に就くと、大院君に追尊され、定遠大院君と呼ばれた。以降、仁祖は父を王に追尊しようと試み、最終的に定遠大院君は元宗の廟号を追尊されることとなった。 現在は、京畿道金浦市にある章陵に埋葬されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「定遠君」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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