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宛城の戦い : ウィキペディア日本語版
宛城の戦い[えんじょうのたたかい]

宛城の戦い(えんじょうのたたかい)は、中国後漢末期の197年曹操張繍との間で行われた戦い。張繍が曹操に対し反乱を起こし、曹操は大敗を喫して曹操の子曹昂、甥の曹安民、猛将典韋が戦死した。ここでは、その後の曹操と張繍の動向についても記述する。
==事前の経緯==
197年、曹操は、張繍が拠点としているを攻略するために、本拠地許昌から兵を起こし、淯水まで向かいそこに陣を敷いた。張繍は曹操軍が侵攻してきたを知ると、参謀であった賈詡に助言を求めた。賈詡は、一旦曹操に降伏してその後時期を見て追い払うことを進言し、張繍はその言を容れた。張繍が軍勢を引き連れて曹操に降伏すると、曹操はそれを受け入れ、そのまま宛を統治することを許した。その後、しばらく曹操は宛城に滞在することとなった。
張繍軍には、胡車児という武勇に優れた将がおり、曹操はその勇猛さを称賛し自ら金銀財宝を送った。張繍はこの件を知ると、胡車児を抱き込んで私を暗殺するつもりなのではないかと訝しがるようになる。また、曹操は宛に滞在中、張繍の義理の叔母鄒氏を気に入り自らの妾にした。鄒氏は、張繍の叔父張済の後妻であり、張済の死後は張繍が面倒を見ていた。曹操と鄒氏の関係が張繍の耳に入ると、張繍は激怒し曹操に恨みを抱くようになった。曹操はそれを知ると張繍殺害をひそかに計画したが、曹操の動向を警戒していた張繍は、事前に計画を察知し、先手を打って曹操軍を急襲することを決意した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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