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宝亀の乱[ほうきのらん]
宝亀の乱(ほうきのらん)は、奈良時代の日本の東北地方で起きた反乱。宝亀11年(780年)、陸奥国の一部地域(のちに陸前国、宮城県などと呼ばれる地域)にて、大和朝廷(ヤマト政権、中央政権)に対し、俘囚(服属蝦夷)の指導者が軍を率いて起こしたもので、首謀者の名を採って伊治呰麻呂の乱(これはりのあざまろのらん、これはるのあざまろのらん)とも呼ばれる。 : ※日付は和暦による旧暦。丸括弧内は西暦でユリウス暦。 == 原因 == 夷俘(隷属蝦夷)の出身で陸奥国府に仕える俘囚(服属蝦夷)の指導者であった伊治呰麻呂は、陸奥国は上治郡(此治郡の誤記として「これはりぐん」あるいは「これはるぐん」と読む見解が有力)の大領となり、蝦夷征討の功を認められて、宝亀9年6月25日 (旧暦)(778年7月24日)には外従五位下に叙されていた。『続日本紀』には、陸奥国按察使・紀広純は、初め呰麻呂を嫌ったが、のちには大いに信頼を寄せるようになったこと、しかし、同じ俘囚出身である牡鹿郡大領の道嶋大盾は(卑しい)夷俘の出であるとして呰麻呂を見下し、侮ったため、呰麻呂は大盾に対して深い恨みを抱いていたことが記載されている。このことから、乱の原因については一般に怨恨説が採られている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宝亀の乱」の詳細全文を読む
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