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宝仙寺[ほうせんじ]
宝仙寺(ほうせんじ)は、東京都中野区中央二丁目にある真言宗豊山派の寺院。 中野区でも屈指の広大な寺院で、千年近くの歴史を誇る古刹である。山号は明王山(みょうおうざん)。戦前は当時の中野町役場も置かれていた。また、著名人の葬儀・告別式も多く執り行われることでも有名な寺院である。また、節分の僧兵行列も趣き深い。 == 歴史 == 寛治年間、源義家によって現在の杉並区・阿佐ヶ谷にて開かれた〔寺領は青梅街道付近から現在の阿佐ヶ谷駅付近にまで及んだという。また宝仙寺の名の由来は、源義家が寺を創建しているときに稲荷明神が現れ、『この珠は、希世の珍、宝中の仙である。これを以て鎮となさば則ち武運長久、法灯永く明らかならん。』と言い義家に珠を与えて去っていったことに由来するという。〕。本尊は、義家が後三年の役の際に護持していた不動明王像で、良弁作と伝えられる。 また宝仙寺は、同じ杉並区の大宮八幡宮の別当寺となった。本尊は鎌倉時代には秘仏になった。室町時代になり、現在の位置に移転した(1429年)〔移転より、阿佐ヶ谷の地には地元の村民のために子寺として世尊院が建てられ現在に至っている。〕。 江戸時代には、優れた僧を出し、歴代の将軍から厚い保護を受け発展した。また、当寺院の僧侶が将軍の御前論議に参加することもあった。また将軍家が鷹狩りに出た際の休憩所としても利用された。明治期以降、境内には中野町(現在の中野区)の役場が置かれていた。戦災を被ったものの、戦後再建され、三重塔や本堂を見ることができる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宝仙寺」の詳細全文を読む
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