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宝筐院 : ウィキペディア日本語版
宝筐院[ほうきょういん]

宝筐院(ほうきょういん)は、京都府京都市右京区嵯峨野にある臨済宗の単立寺院。山号は善入山(ぜんにゅうざん)。本尊は木造十一面千手観世音菩薩立像。室町幕府2代将軍・足利義詮南朝の忠臣・楠木正行の菩提寺である。
== 歴史 ==
平安時代白河天皇勅願寺として建立され、当初の寺名は善入寺と称した。南北朝時代夢窓疎石の高弟・黙庵周諭が中興開山し、黙庵に帰依した足利幕府二代将軍・足利義詮によって観林寺と寺名を改められるが、ほどなく善入寺に戻された。
南朝の忠臣・楠木正行もまた黙庵に帰依しており、彼が正平3年/貞和4年(1348年)に河内国北條(現在の大阪府四條畷市)で行われた四條畷の戦い(四條縄手)において足利方の高師直師泰兄弟と戦って敗北した後は、黙庵によってその首級を寺の敷地内に手厚く葬られた。
その正行の敵である足利義詮は、正行の埋葬を知ると、「自分の逝去後、かねており敬慕していた観林寺(現在の宝筐院)の楠木正行の墓の傍らで眠らせてもらいたい」と遺言を残したと言われ、貞治5年(1367年)、彼の死後ほどなく、正行の墓(五輪石塔)の隣の墓(宝筐印塔)に葬られた。その後、8代将軍・足利義政の代に、その寺名は義詮の院号である宝筐院に改められたという。
室町時代・江戸時代は臨済宗天竜寺派山外塔頭であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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