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宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)とは、奈良の興福寺の僧宝蔵院覚禅房胤栄(?~1607)が創始した十文字槍を使った槍術である。薙刀術も伝承していた。 初代宝蔵院覚禅房胤栄、2代目胤舜、3代目胤清、4代目胤風。 * 初代胤栄は、柳生とも親交があったと云われる。また、福島正則の家臣で勇猛な武将として知られる笹の才蔵こと可児吉長が、初代胤栄に教えを請うた、とも云われる。 現在はほとんどの形などが失伝しており、宝蔵院流高田派の江戸に伝えられた系統のみが現存している。だが、この系統も全伝は現存せず、辛うじて残っていた「槍合わせの形」のみが伝えられ、薙刀術の形などは失伝している。 2011年12月16日、第20世宗家として活動していた鍵田忠兵衛が遊説先の韓国で急逝。これを受けて春日大社で毎年開かれている、春日若宮「おん祭」宝蔵院流槍術奉納演武(2011年度)を辞退している。 2012年1月7日、第21世宗家に一箭順三が就任した。 == 宝蔵院流槍術の分派 == 胤栄┬宝蔵院流中村派─宝蔵院流高田派 ├宝蔵院流松崎派─加来流 ├姉川流 ├法蔵院流(宝蔵院流長谷川派) └胤舜─宝蔵院流礒野派─宝蔵院流下石派─宝蔵院流旅川派 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宝蔵院流槍術」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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