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実体変化 : ウィキペディア日本語版
聖変化[せいへんか]

聖変化(せいへんか、、、)は、カトリック教会ミサ正教会聖体礼儀においてパンぶどう酒イエス・キリストの体(聖体・聖体血)に変化すること。
==カトリック教会==
カトリック教会聖体の秘跡において、司教司祭がパンとぶどう酒を聖別するとき、パンとぶどう酒のすべての実体は外観(偶性)のみ残してキリストの実体に変化するとされている。これは福音書に記されている『(パンを)取って食べなさい。これはわたしのからだである。』というイエス・キリストの言葉〔マタイによる福音書26章26-28、マルコによる福音書14章22-24、ルカによる福音書22章19-20〕を根拠としているもので、カトリック教会ではつねに、これを「パンとぶどう酒の形をしてキリストがそこにおられる」(パンとぶどう酒の形態におけるキリストの現存)と言う意味に理解し、信じてきた〔『カトリック教会の教え』(日本カトリック司教協議会 監修・カトリック中央協議会 発行)2003年、ISBN 978-4-87750-106-8、190-192頁〕。この時、キリストの実体とは、体と血と霊魂を含む人性と三位一体神性との実体のすべてを指す。この定義は第4ラテラン公会議1215年)およびトリエント公会議1545-1563年)で公式に認められた。
*トリエント公会議によれば、「私たちの救い主キリストは、パンの形色の中にささげたのが自分の真の身体であると仰せられたので(マタイ26:26以下、マルコ14:22以下、ルカ22:19以下、コリント第一11:24以下参照)、天主の教会は変ることなく常に信じてきたことを、この聖なる公会議も繰返して宣言する。すなわち、パンとブドー酒の聖別によって、パンの実体はことごとく私たちの主キリストの実体となり、ブドー酒の実体はことごとくその血の実体に変化する。聖なるカトリック教会は、この変化を便宜上、適切に全実体変化と言い表わしている(第2条)。」〔第13総会:聖体についての教令 第4章 全実体変化について 聖ピオ十世会
*また、トリエント公会議は次のようにも宣言している。「聖なる公会議は次のことを教え、簡単明瞭に表明する。尊敬すべき聖なる聖体の秘跡において、パンとブドー酒の聖別の後、まことの天主でありまことの人である私たちの主イエズス・キリストが、真に、現実に、実体的に()、パンとブドー酒というかの可感覚的な形色のもとに含まれている。事実、私たちの救い主が自然な存在の仕方で、天において常に聖父の右に座しておられることと、しかしながら、われわれが言葉で表わすことはほとんど不可能ではあるが、天主には可能であることを信仰に照らされた認識によって把握することができ、また固く信じなければならない存在の仕方によって秘跡的に他の多くの場所にご自分の実体によって現存して私たちに臨在しておられることとは互いに矛盾しない。」〔第13総会:聖体についての教令 第1章 いとも聖なる聖体の秘跡における私たちの主イエズス・キリストの実在 聖ピオ十世会〕
*聖体の秘跡に関する規定として、同じトリエント公会議は宣言している。これによれば、霊的な現存でもなく、宗教的しるしや象徴としての意味おいての現前でもなく、本当に、現実に、実体的に現存しているというカトリックの信仰を確認している。「1条。聖体の秘跡の中に、真に、現実に、そして実体的に私たちの主イエズス・キリストの体と血がその霊魂と神性とともに、すなわちキリスト全部が含まれていることを否定し、「この秘跡の中には、しるしまたは象徴として、または効力だけで含まれている」と言う者は排斥される。」〔第13総会:聖体の秘跡に関する規定 聖ピオ十世会〕
聖変化について、カトリック教会ではアリストテレス哲学による定義を用い、事物は実体と偶性(大きさ、色、かたち)からなり、実体それ自体は概念的なものであって偶性を伴ってはじめて存在するとする。従って、聖変化後のパンとぶどう酒は、偶性、即ちそれらの外観や科学的な組成は変わらずとも、実体は変化したと考える。そして実体は概念であるが故に不可視・不可触なものである。これに対して他教派や非キリスト教徒から批判されることがあり、特に宗教改革以降、プロテスタント諸派では、パンとぶどう酒が本当にキリストの体に変わる訳ではなく、単なるシンボルに過ぎないと考えたが、カトリック教会はトリエント公会議での議論によって改めてこれを否定し、現代に至っている。この、概念としての実体変化の有無に対する見解の相違、或いは批判は、カトリック神学と他教派の神学における聖餐論の違いであるといえよう。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Transubstantiation 」があります。



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