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宣仁皇后[せんじんこうごう]
宣仁皇后(せんじんこうごう、1032年 - 1093年)は、北宋の英宗の皇后。1085年から1093年までの間、太皇太后として臨朝称制した。姓は高氏、幼名は滔滔(とうとう)。宣仁太后とも呼ばれた。 == 生涯 == 亳州蒙城の人。高遵甫と曹氏(仁宗の皇后曹氏の姉)の娘として生まれた。慶暦7年(1047年)、団練使趙宗実(のちの英宗)にとつぎ、京光郡君となった。夫婦仲は良く、趙頊(のちの神宗)など多くの子供を産んだ。 嘉祐8年(1063年)4月1日、仁宗が崩じた。男子がなかったので、曹皇后が宗室のうちから、仁宗の従兄の子である趙宗実を帝位に即かせた。4月25日、高氏は皇后に立てられた。治平4年(1067年)に英宗が崩じて長男の神宗が立つと、皇太后となった。 元豊9年(1085年)3月、神宗が崩じて幼い哲宗が立つと、太皇太后となり垂簾聴政した。高太后は旧法を回復するよう努め、司馬光・呂光著らを起用して新法派を排斥し、熙寧・元豊年間に立てられた法を廃止していった。当時まだ少年であった哲宗には反対され、祖母と孫の間は険悪になった。 元祐8年(1093年)9月、崩じた。 哲宗は実の祖母の廃位を準備したが、母の朱太妃が諫言したので取りやめた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宣仁皇后」の詳細全文を読む
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