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室賀 信俊(むろが のぶとし、生年不詳 - 天正3年(1575年))は、戦国時代の武将、信濃国室賀城主。室賀盛清の子。通称・兵部大輔、山城守。初名は経俊、行俊、盛清。法名は一葉軒。 == 略歴 == 室賀氏は北信濃の国衆で、清和源氏頼清流の系統である村上氏の一門屋代氏の支族であり、惣領家の村上義清に従っていた。 天文22年(1553年)義清が甲斐国の武田晴信(信玄)に敗れて越後国の長尾景虎(上杉謙信)のもとへ走ると、経俊はそのまま晴信に降った。その際に、晴信より「信」の字を賜って信俊と改名した。 以後は永禄4年(1561年)の川中島の戦いを始め、各地を転戦した。 家督を一族の屋代正重の子・満正に譲って隠居。天正3年(1575年)に没した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「室賀信俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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