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室韋(しつい、拼音:Shìwéi)は、6世紀から10世紀まで中国東北部のチチハル周辺にある嫩江、アルグン川、黒竜江流域に存在していた民族。初めは失韋国と書かれた〔『魏書』列伝第八十八〕。また、モンゴル系民族の源流と考えられており、『オルホン碑文』にある三十姓タタル(オトゥズ・タタル、〔右から左へ読む。〕【Otuz Tatar】)にも比定されている。 ==構成部族== ===北朝の時代=== 北朝から隋代にかけて室韋は5部に分裂する。 *南室韋 *北室韋 *鉢室韋 *深末怛室韋 *大室韋…室韋の一部となっているが、言葉が通じない〔『隋書』列伝第四十九 北狄「又西北數千里,至大室韋,徑路險阻,語言不通。」,『北史』列伝第八十二「又西北數千里至大室韋,徑路險阻,言語不通。」〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「室韋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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