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宮内 國郎(みやうち くにお、1932年2月16日 - 2006年11月27日)は、日本の作曲家。宮内 国郎と表記されることも多い。 == 略歴 == 東京都世田谷区出身。少年時代、ジョージ・ガーシュインの伝記映画「アメリカ交響楽」を見てジャズに傾倒する。国立音楽大学附属高等学校に入学、松本文男に師事し、トランペット奏者を志したが、高校2年生の時、軽い肺結核を患い断念。服部正、入野義朗、斎藤一郎などの指導を受けながら、作曲家としての修業を積む傍ら、フリーの立場でアレンジを中心に、民放ラジオ局ニッポン放送関係の仕事に従事。 1950年代後半からテアトル・ド・ポッシュに所属。ニッポン放送での仕事を皮切りに、映画やテレビ番組の音楽を担当するようになる。もともと映像の音楽を手がけるようになったきっかけは、1959年、フジテレビ開局前、試験電波として流していたテスト放送用の番組に音楽をつけたことが始まりだという。フジテレビ開局以降は同局のテレビドラマの音楽や番組テーマ曲等を次々と作曲し、のちの映像音楽作曲への第一歩を記した。 フジテレビに勤務していた友人・円谷皐の推薦により、円谷プロダクションが1964年にフジテレビで放映する予定であった初のテレビ特撮ドラマ『WOO』の音楽担当に抜擢される。この企画は実現しなかったが、1966年にTBSで放映が決まった『ウルトラQ』、引き続いて『ウルトラマン』の音楽を担当し、初期ウルトラシリーズのイメージ作りに、音楽面で大きく貢献した。 1979年、それまで培ってきた映像音楽の集大成を『ザ☆ウルトラマン』に残すこととなり、これは円谷プロ作品ではBGMを初めて海外録音という快挙を成し遂げた。 ジャズ畑出身だが、晩年はデジタル系の音楽に傾倒していった。『ウルトラQ dark fantasy』では、原作『ウルトラQ』のテーマ曲をデジタル系のサウンドでリメイクしている。 2006年11月27日午後4時13分、大腸癌のため東京都府中市の病院で死去。74歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮内國郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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