翻訳と辞書
Words near each other
・ 宮原球場
・ 宮原理子
・ 宮原町
・ 宮原町 (さいたま市)
・ 宮原知子
・ 宮原神社
・ 宮原祥子
・ 宮原禎次
・ 宮原秀夫
・ 宮原秀明
宮原積
・ 宮原総合運転所
・ 宮原線
・ 宮原美佐子
・ 宮原義久
・ 宮原義典
・ 宮原義利
・ 宮原義周
・ 宮原義汨
・ 宮原義潔


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

宮原積 : ウィキペディア日本語版
宮原積[みやはら つもる]
宮原 積(みやはら つもる〔 / せき〔、1823年文政6年)- 1884年明治17年)〔『鳥取県大百科事典』929頁。〕)は、幕末鳥取藩士歌人明治期の内政官僚高山県知事福島県権令。通称・大輔、号・海宇。
==経歴==
鳥取藩士の家に生まれる。儒者助役、学校文場吟味役、国学方、詩文方などを歴任。藩校・学館に国学局が設置された際、宮原に国学者の取立てが任され、飯田年平新貞老小谷古蔭などを起用した。幕末には国事に奔走〔。
慶応4年6月5日1868年7月24日)、維新政府により、徴士・越後府権判事に登用された〔「公文録・明治元年・第十四巻・戊辰一月~己巳六月・諸侯伺(池田因幡守慶徳)」〕。その後、刑法官監察使、高山県知事を歴任〔『新編日本の歴代知事』208頁。〕。
明治5年1月20日1872年2月28日)、福島県権令に転任。大区小区制を推進した。同年6月2日(7月7日)に権令を罷免された〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮原積」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.