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宮地佑紀生(みやち ゆきお、1949年1月9日 - )は、中京圏を拠点に活動するタレント。サンデーフォーク所属。 == 来歴・人物 == === 来歴 === 名古屋市中区大須生まれ〔宮地と同じ、大須生まれの芸能人に、河原龍夫、矢野きよ実、一路真輝がいる。〕。実家は日本でも珍しい緞帳屋だった。大須小学校、前津中学校と地元で育った生粋の名古屋っ子である。高校は愛知高校。身長163cm。 愛知学院大学卒業後、東京デザイナー学院に進学。23歳で、アクセサリーショップ「参百六拾六日の店」を創業。25歳の時に、当時行われていた名鉄セブン社員による、生CMに出演したのがきっかけで、東海ラジオの塩瀬修充プロデューサーの誘いを受け、ラジオ パーソナリティとなる〔当時のことについて、塩瀬は宮地が出版した『宮地佑紀生の天国と地獄』(pp.182 - 183)の中で、東海ラジオのスタジオでテストを行った際、宮地はフリートークで「もういいから」と言うまで喋り続けた。塩瀬は「このような新人は、後にも先にも、宮地と無名の頃の笑福亭鶴瓶だけだ」と記している。〕。タレント活動開始当初は『ミッドナイト東海』月曜。『どんどん土曜大放送』などを担当した。『ミッドナイト東海』の宮地の起用にあたっては社内会議で、反対の声もあったが、塩瀬の尽力により、出演が決定した。 1976年、バンド「無有(むう)」を結成。「名古屋っ子」などの曲をリリースしたが、全く売れなかった。一時期「宮地由紀男」を名乗っていたことがあるが、長女誕生を機に改名している。 タレントとして活動する一方、「参百六拾六日の店」の経営も続け、多い時は豊橋や軽井沢など、全国で13店舗を展開したが、次第に借金が増え、店は次々と閉鎖していった。借金が1億円あった時は、自殺さえ考えていたと言う。1997年、自身の冠番組『宮地佑紀生の聞いてみや〜ち』を始める際、最後に残った店舗を知人に譲り、以降の活動を、タレント一本に絞った。本人が『聞いてみや〜ち』の放送中に、たびたび話している内容によると、2006年に「既に借金は完済した」とのことである。 2000年代以降の活動としては、引き続き『聞いてみや〜ち』のパーソナリティを務め、メ〜テレ『特選朝いち どですか!』への出演がある。2004年12月10日、つボイノリオ、伊藤秀志と3人で、自主制作の振り込め詐欺撲滅ソング『オレオレ詐欺のドナタ』を発表した。2005年3月9日、初の自叙伝『宮地佑紀生の天国と地獄』を発売。同年8月26日、写真入り切手を発売した。名古屋市内にある高岳郵便局には、関連する写真が掲示された。同年のにっぽんど真ん中祭りで、伊藤秀志とともに、総踊りの新曲『どまつり囃子 -ODORANA-』を披露した。 、ラーメンに関する本を執筆したことがあり、寿がきや食品のCMに出演。『どですか!』のラーメン開発企画では、寿がきや食品の全面協力の下、宮地自身も開発に携わりながら、番組特製の「どですかラーメン」を完成させた。この商品は当初、スガキヤの一部の店舗で販売されていたが、反響が大きかったため、サークルKの期間限定で、カップ麺を販売した。『聞いてみや〜ち』で、リスナーおすすめのラーメン店情報を随時募集している。、ボートピア名古屋のテレビCM、ラジオCMに出演している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮地佑紀生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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