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宮島弥山大本山大聖院 : ウィキペディア日本語版
大聖院 (宮島)[だいしょういん]

大聖院(だいしょういん)は広島県廿日市市宮島町にある真言宗御室派の大本山の寺院山号は多喜山(たきやま、「滝山」とも)、多喜山大聖院水精寺(すいしょうじ)と号する。
宮島で最古の歴史を持つ寺院であり、厳島神社の別当寺として祭祀を司り、社僧を統括してきた寺院である。観音堂本尊の十一面観世音菩薩、勅願堂本尊の波切不動明王のほか、三鬼大権現七福神、一願大師など数多くの仏像が安置されている。
大聖院は中国三十三観音第十四番札所、山陽花の寺二十四か寺第一番札所や、広島新四国八十八ヶ所霊場第八十七番札所でもあり、紅葉の名所でもある。
摩尼殿への階段には摩尼車が多数設置され、また、弥山への登山ルート入り口に隣接すること、高台からの眺め、昔からの風情を残す周囲の街並みから、エンターテイメント性に富んだ寺院であると言える。
御詠歌:ひとのよの こころのやみを てらすなり ひじりのてらの のりのともしび
== 歴史 ==
当院の草創については定かでない。伝承では、大同元年(806年)に空海が宮島に渡り、弥山(みせん)の上で修行し開基したといい、鳥羽天皇勅命の祈願道場となったという。ただし、空海と宮島の結びつきは、史実としては確認できない〔平凡社『日本歴史地名大系 広島県の地名』の「弥山」の項による。〕。
古くは「水精寺」と称し、安元3年(1177年)の「伊都岐島水精寺勤行日記注進状案」及び同年の「太政官牒案」〔いずれも野坂文書(厳島宮司・野坂家伝来)のうち。〕に「水精寺」と見えるのが文献上の初見である。従来の説では、この頃の水精寺は宮島島内ではなく、対岸の本州側にあったと考えられている。
ただ近年、弥山の本堂周辺から、奈良-平安時代頃の緑釉陶器や仏鉢などの遺物が採集されており、水精寺は古代から宮島島内にあったのではないか、とする指摘もある〔妹尾周三「安芸厳島(伊都岐島)弥山水精寺の創建について」 『佛教藝術』第304号(2009) 毎日新聞社〕。
1887年明治20年)の火災で大部分の堂宇を焼失し、現在ある堂宇はその後整備されたものである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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