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宮島誠一郎 : ウィキペディア日本語版
宮島誠一郎[みやじま せいいちろう]
宮島 誠一郎(みやじま せいいちろう、天保9年7月6日1838年8月25日) - 明治44年(1911年3月15日)は、江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて活躍した官僚政治家。元米沢藩士。幼名は熊蔵。は吉久。は栗香、養香堂など。幕末に締結された奥羽越列藩同盟交渉時に中心的な役割を果たしたほか、明治維新後は自由民権運動に先駆けていち早く憲法制定・議会開設の建白を行い、また後にアジア主義団体「興亜会」設立に関わった。その膨大な日記・記録類は現在でも貴重な史料となっている。子に書家・中国語研究で知られる宮島大八(詠士)がおり、小森沢長政は弟である。
※本文中、明治5年12月2日以前の日付は旧暦寛政暦および天保暦)、それ以降はグレゴリオ暦で記載している。
==幕末期の活躍==

===生い立ち===
天保9年(1838年)、米沢藩右筆・宮島一郎左衛門吉利(号は一瓢)と、田滝甚蔵の娘・宇乃(うの)との間に長男として生まれる〔友田2009、26頁。由井、3頁。〕。宮島家は五十騎組の家柄で、米沢藩では中士階級であった。
10歳頃、藩校興譲館に入り、経書・史書を学ぶ。嘉永5年(1852年)頃、藩の砲術家浅間厚斎に入門し、砲術を学ぶ。翌年のペリー艦隊による黒船来航により、藩内に編成された抜隊龍隊 (battalion) に編入され、軍制改革に関わる。当世流行の攘夷思想に染まることはなく、むしろ武備を整えて諸外国に対峙すべきであるとの考えであった〔友田2009、33-36頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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