翻訳と辞書
Words near each other
・ 宮崎十三八
・ 宮崎南バイパス
・ 宮崎南印刷
・ 宮崎南小学校
・ 宮崎南警察署
・ 宮崎南高校
・ 宮崎南高等学校
・ 宮崎博
・ 宮崎博史
・ 宮崎友好
宮崎友禅
・ 宮崎友禅斎
・ 宮崎友輔
・ 宮崎口駅
・ 宮崎台小学校
・ 宮崎台駅
・ 宮崎吉井
・ 宮崎吉政
・ 宮崎吉村薬品
・ 宮崎吐夢


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

宮崎友禅 : ウィキペディア日本語版
宮崎友禅斎[みやざき ゆうぜんさい]

宮崎 友禅斎(みやざき ゆうぜんさい、承応3年(1654年)? - 元文元年6月13日1736年7月21日)?)
江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)を中心に京都で活躍した扇絵師。着物の友禅模様という名称の基になった扇絵や小袖の雛形(ひながた)を描いた。来歴不明で出家であったことぐらいしか解っていない。
京都は知恩院前に住居を構え「友禅」と号した。扇面に描いた絵が「友禅扇」と言われ流行したことから、着物(小袖)のひながた(雛形)を描く。友禅模様は、男女、貴賎を問わず評判になり、後に友禅という名は着物の模様や染織技法も指す言葉になった。
友禅に師事したという友尽斎をはじめ、文献や資料には友仙、友泉、勇善、由禅、遊仙、幽禅などの名が出てくる。一派を形成したものか人気に便乗した偽者がいたのかは不明だが、当時の友禅に対する人気の程が伺える。
現在の仕事でいえば、染色のデザイナーであり、友禅というブランドの創始者であるといえる。現存する資料からは友禅斎が友禅染の技法の創作、大成、改良のいずれにも関与したとは認められないとする説もある。〔丸山伸彦『江戸モードの誕生-文様の流行とスター絵師』 角川グループパブリッシング(角川選書)、平成20年(2008年)、208頁。〕。
友禅染は折からの奢侈禁止令によって豪華な織物や金銀の摺箔が使えなくなった町人達の美服への欲求を満たすものとして歓迎されたという。
== 参考文献 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮崎友禅斎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.