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宮崎哲弥[みやざき てつや]
宮崎 哲弥(みやざき てつや、1962年10月10日- )は、日本の評論家およびコメンテーター。福岡県久留米市出身。研究開発コンサルティング会社「アルターブレイン」副代表。2006年4月より京都産業大学客員教授〔宮崎哲弥客員教授が「大学の歴史と京都産業大学」で講義キャンパスフラッシュ <京都産業大学ニュース> 〕。 == 略歴 == 泌尿器科開業医の家に生まれ、小学校高学年期から中学生の頃にかけては、いわゆる不登校児であまり学校に通わず、自宅にあったさまざまな思想書を読んでいた。シモーヌ・ヴェイユの影響を受け、中学卒業後しばらく社会人生活を送る。今の雰囲気からは考えられないが、当時を本人は「高校までは札付きの不良だった」と語っており、ナイフを携帯し、深夜徘徊していた。そのような素行のため、親族が「このままでは犯罪者になるのではないか」と恐れ、精神病院に入れられそうになったと述懐したことがある。 無頼な生活を送るなか1年遅れで久留米工業大学付属高等学校を経て、早稲田大学教育学部に進学するも、過度の飲酒で体調を崩し中退。その後、慶應義塾大学文学部社会学科に入学。同学部卒業後、さらに同大学法学部法律学科に学士入学するも中退。 やがて『宝島30』で「評論家見習い」〔この肩書きを自身は気に入っていなかったという。〕として執筆活動を始め、西部邁の推薦を受けて処女評論集『正義の見方』(1996年)を出版した。政治哲学・宗教思想を「自分のシマ」とするも、おおよそどのような話題についても論評する。 内閣府経済財政諮問会議専門委員や、総務省「通信・放送の在り方に関する懇談会」構成員を務めた。1998年12月から2006年3月まで新聞三社連合の論壇時評を担当〔北海道新聞、西日本新聞、および中日新聞社刊の中日新聞と東京新聞で掲載される〕、2003年は共同通信の論壇時評も担当。2003年4月から2006年3月まで朝日新聞書評委員。自らの基本的な立場を「仏教者」としている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「宮崎哲弥」の詳細全文を読む
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