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宮崎学園都市開発整備事業 : ウィキペディア日本語版
宮崎学園都市[みやざきがくえんとし]
宮崎学園都市(みやざきがくえんとし Miyazaki University Town〔案内標識による記載。〕)は、宮崎大学を核として住宅都市「学園木花台」や工業団地福祉施設などを擁する都市筑波研究学園都市に続き日本で2番目の学園都市でもある〔平成写真(5) - 21世紀に残す広報写真展 (宮崎県公式ウェブサイト内)〕。宮崎県宮崎市木花地区と宮崎市清武町木原にまたがる。

== 完成までの経緯 ==
宮崎学園都市の構想は、当時の宮崎県のおかれた状況下で浮上した。1970年代の宮崎県は第二次産業が脆弱であり、大学も人文科学系統の学部が全くなかった〔後に宮崎公立大学などの文系学部を中心とする大学が設置され、宮崎大学自体も教育文化学部内に「人間社会課程」(2007年までは「社会システム課程」「地域文化課程」)といった学科を設置している。〕ことから若年層の流出が発生しており、これらの問題解決の手段として宮崎大学の移転とキャンパスの統合によって整備・拡充させていくことが必要とされていた〔当時の宮崎大学は宮崎市街地に各学部のキャンパスが分散していたうえに、極めて狭い面積しか保有していなかった、とされていた。〕。また、宮崎都市圏の人口増加に対応するために住宅地の整備も必要とされた。
宮崎学園都市開発整備事業は当初「宮崎大学の移転とキャンパスの統合による拡充」と「住宅地の開発」を軸とした基本計画に基づいて進行していた。ところが国がテクノポリス建設構想を提案したことを受けて、宮崎県が「宮崎SUNテクノポリス」構想を掲げ、宮崎学園都市を中核団地としたことにより計画は一部変更され、産業と大学が一体となった拠点として「ハイテクパーク」と「リサーチパーク」が整備されることとなった。
宮崎大学の移転は1988年に完了、宮崎学園都市全体としても1993年2月に完成となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「宮崎学園都市」の詳細全文を読む



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